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2014年1月29日水曜日

移住完了

 前回の記事で書いてたフラッシュの不調の件ですが、ひっそりとインストールされていたグーグルクロームで開いたところ、見事に回避成功しました。
つまりは、ゲイツのブラウザが何か変な物拾って食ったのが原因だったっぽい。
・・・こういう商売ばっか続けてると、そのうち低迷期のアップルみたいな事になっても知らんぞ。

それはさておき、CoWがとうとう本日昼に終わりましたね・・・


でも、ダンジョンにすら行かないくせにただ採掘ばかりやってダラダラやってた結果、無課金でもこんな感じでレベル62まで行っちゃったんですから、これは大したもんですよ。

…はい、そうです。
私も碌に課金せずこのゲームを潰した戦犯の一人です。

で、以前も述べたとおり、このままではネクソンで取得したアカウントが何にもしないまんま宙ぶらりんになってしまうので、この会社がやってるので他のSFゲームは無いかと思ったら、EVEオンラインという課金強制の洋ゲーがあったので、これはどうしたものかと思案していたという次第だったのですが。


この通りばっちり始めて完全に軌道に乗ってたりします。

まあ、毎月PLEXを買えるような大資本家にはまだ遠いですが。

2014年1月23日木曜日

アドビどうした

 ここ数年ネトゲをいくつか掛け持ちしてるんですが、最近はブログの更新すらめんどくさいという状態になってまして・・・
そうでなくても、C#にMMDに汎用ロジックと勉強しようかなと思って本だけ買ってそのまんまにしてるネタのなんと多い事か。


・・・そんな非生産的な生活に何かの啓示なのか、昨日パソコンのフラッシュプレイヤーがイミフなトラブルを起こして、何度アンインストールとインストールを繰り返しても復帰する様子を見せません。
おかげでCoWとスターギャラクシーがプレイ不能になった上、ネット上の動画も見られなくなるという状況になっております。


まあ、だからと言って改心してブレッドボードにICを挿し始めるかと思いきや




・・・先週始めたEVEオンラインで小惑星の資源を掘って喜んでるんですけどね。

2014年1月8日水曜日

映画になっていない永遠の0

 タイミング的に先週は丁度元日だったので、正月休み取ろうぜとばかりに更新を休んだら風邪をひいてしまいまだ鼻水が止まりません。


・・・という事で新年一発目のネタが去年の話というのもなんですが、今回は去る12月の末に観てきた永遠の0の内容がどうもおかしいという話をします。
まあ、男たちの大和を見てはまるで砲口から泥が噴き出しているかのような砲煙の描写にゲンナリし、NHKの坂の上の雲を見ては、装填のために片方の砲身を下げている連装砲塔が二門とも火を噴いたのを見てイラッとするような人間を満足させるような映画ってのも無茶な話ですが、この映画はそういう面においては驚くほど粗の少ない作品でした。
まあ、敢えて言えば構図というか画作りが少々わざとらしい部分がありましたが。


 しかし、それよりも気になったのは構成です。
文庫本で500頁を超えるような長編を2時間かそこらで上映してしまう映画の枠に収める上では、色々と削らなくてはならない枝葉の部分がある事は重々承知ですが、それにしてもどうも構成作家の見識を疑わせられるような部分が散見されましたので。




消された人その1:新聞記者の高山


 原作の中では、この人物は(おそらく祖父が特攻隊員だったという事から)フリーライターを目指している主人公の姉に終戦60周年企画だと称して接触し、戦友会を通して情報収集をするように働きかけた末、元特攻要員で今は一流商社の会長になっている武田という証言者が出てくると、
「よっしゃ、大物が釣れた!」と喜び勇んでずずいっと話の席に割り込み、
「特攻隊員はテロリスト」とやって激怒させてしまうという超重要人物です。


・・・小官のブログを定期的に読んでいる奇特な方なら、もうお判りかも知れませんが、何か月か前にここの記事でも触れた通り、この功名心に逸る新聞記者のチープな正義感に激怒した証言者の口を通して戦前からマスコミが国民をおかしな方向へ国策を誤らせる方向へと扇動し続けてきた事、そして戦後は己の行為を一切省みる事無く変節して戦後の大変な時期に働き手の居ない戦没者の遺族の運命が大きく翻弄された事、更には21世紀の現代になってもまだその点を反省せず民主主義の守護者を気取ってやがるぜという、リアルに現代にも生きる教訓が語られる形になっています。
それだけに、この人物の存在が映画版では消されているというのは逆の意味で悪質なプロパガンダの臭いがします。




消された人その2:井崎の孫


 この作品を知らない人のためにまた少しクドクドと説明しますと、井崎とは主人公の祖父で特攻で死んだ宮部久蔵の直属の部下として戦い、彼の自分の大事な人のためにも生きて帰れという教えを守った結果生きて戦後を迎える事ができ、その恩返しとして末期がんの体に鞭打って主人公とその姉に宮部久蔵の生きざまを伝えた証言者です。
映画の中では彼を介護している娘しか出てきませんでしたが、原作では彼女の息子という人物が出てきてそれも当初は
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 若者は、ぞんざいに顎をしゃくった。年は二十歳前後に見えた。髪を金髪に染め、アロハを着ていた。左手にオートバイ用のヘルメットを持っていた。ヘルメットには派手なペイントが施されていた。
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と、この通り絵に描いたようなDQNとして描かれているのが、最後には


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「俺、おじいちゃんのあんな話聞いたの初めてだった」
 彼の目からはまだ涙がこぼれていた。
「おじいちゃん、ひでえよ。孫に、昔話なんか一つも語ってくれなかった。縁側で、おじいちゃんの話を聞きたかったよ」
 そして彼は泣きながら母の方を向いた。
「オフクロ―ごめんよ、俺―」
 最後は何を言っているのかわからなかった。そんな息子を見て鈴子も泣いていた。
「今日は、私たちにとっても貴重な日になりました。ありがとうございます」
 鈴子は涙を拭くと、深々と頭を下げた。
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と、このように明らか更生した様が描写されています。


当然の事ながら、原作者の百田氏がわざわざこういうわざとらしいキャラクターを出してきたのは、相応の意図があっての事だと思われます。
具体的には今から社会へ出て行こうという若者たちに、当時を懸命に生きた自分たちの父祖に恥ずかしくない生き方をしてほしいというメッセージを込めたかったのでしょう。
しかも、映画でこのメッセージを伝えるためには、ほんの数カット余分に付け加える程度で充分だった筈です。


また、先にあげた新聞記者の垂れ流した「特攻はテロと同じ」という妄言ですが、映画版では主人公の同期で一足先に司法書士に通って弁護士の卵になった同年代の若者たちが合コンの席でヘラヘラ笑いながら、自分を賢く見せようと他人の受け売りという形で語り、これに主人公が激昂するという構成に変造されています。
無論、ここのくだりは原作には全く存在しない・・・言ってしまえば作者の名前だけを借りた完全な創作です。


・・・つまり、以上二つを纏めると戦後になってから戦前の日本は全面的に悪だったと宣伝したいGHQとそれに乗っかったマスコミの所業を隠蔽しておきながら、その結果として現代の日本に蔓延している国を害する事はよい事だみたいな空気の過半を
"今時の愚かな若者"に押し付けて解決した気になってしまおうという、特定の世代の人達の自己弁護にしか見えないトリミングの傾向が見えてくるわけです。




消された人その3:トニー


 原作でもこの人は井崎の"証言に出てくるだけの人物"ですが、小官が思うに、この人物を出さないというのは、映画を観る人に作者の意図どころかあの戦争というものの実像を完全に見誤らせる結果になるのではないのかと危惧せざるには居られないというレベルの重要人物です。
偶然にもテキサス親父と同じトニーという名前の架空の人物を、一読者に過ぎない小官がある事無い事言って褒めそやすのもなんですから、ここは原作からごっそり抜粋しましょう。
・・・別に記事の内容をかさ増して手抜きしようという意図はありませんよ?
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 トニーの話は衝撃的でした。その日、彼は帰路に集結する日本機を喰ってやろうと、列機と共に雲に隠れて待ち伏せていた。しかし襲撃した途端、一機のゼロに発見され、列機は一撃で墜とされた。同僚の死を見た彼は逃げるよりも反撃を試みた。しかし正面から銃撃され、エンジンに被弾し、パラシュート脱出した、というものでした。
 私はその話を聞いた時、全身が震えだしたのを記憶しています。
「この時のパイロットはお前ではないのか?」
 トニーの質問に私は首を振りました。そして逆に尋ねました。
「トニーに質問するが、その時、パラシュートで降下している時、銃撃されなかったか」
 トニーは「おおっ」と声を上げて両手を広げました。
「なぜ、それを知っている?」
「見ていたからだ。死んだと思っていた」
「俺もそう思った。しかしパラシュートが撃ち抜かれても海上近くだったので、降下速度が出る前に海に激突して死ぬことはなかった。運が良かったんだ」
「よかった」
「俺を墜としたパイロットを知っているのか」
「私の小隊長だ」
 彼は再び「おおっ!」と声を上げました。
「生きているのか」
「亡くなった」
「撃墜されたのか?」
「いや―カミカゼで亡くなった」
 その瞬間、彼は口をあんぐり開けました。そして独り言のように何かを呟きました。
 その言葉は通訳が訳しませんでしたが、彼の無念の思いは伝わってきました。次の瞬間、トニーは顔をくしゃくしゃにして泣き出しました。
「彼の名前は何という?」
「宮部久蔵」
 トニーは、ミヤベ、キュウゾウと何度も繰り返しました。そして言いました。
「彼に会いたかった」
「恨んでないのか」
「なぜ恨む?」
「パラシュート降下しているあなたを撃ったのですよ」
「それは戦争だから当然だ。我々はまだ戦いの途中だった。彼は捕虜を撃ったのではない」
 そうだったのかと思いました。
「彼はあなたのことを、恐ろしいパイロットだったと言っていました。そしてあなたを撃ったことを苦しんでいました」
 トニーは目をつむりました。
「ミヤベは本物のエースだった。私はその後も何度もゼロと戦ったが、あれほどのパイロットはいなかった」
「立派な人でした」
 トニーはわかっていると言いたげに何度も頷きました。
「ガダルカナルのアメリカ人パイロットは強かった」
 私の言葉にトニーは首を振りました。
「俺たちが勝ったのはグラマンのお蔭だ。グラマンほど頑丈なやつはなかった。俺が今こうして生きているのは操縦席の背面板のお蔭だよ」
「何度もグラマンに命中弾を与えたけど、なかなか墜ちてくれなかったよ」
「俺たちはいつもゼロを怖れていた。四二年当時、日本の飛行機は少数だったが、乗ってる奴は腕利きばかりだった。迎撃のたびに飛行機を穴だらけにされた。何機スクラップにされたかわからない。俺たちは十回殴られてようやく一回殴り返すような戦いをしていたんだ。しかしその一発のパンチでゼロは火を噴いた」
 まさしく彼の言うとおりだと思いました。
「ガダルカナルでは我が軍に多くのエースが生まれた。かく言う俺もその一人だが―」
 トニーは悪戯っぽく笑いました。
「だが、俺も含めてみんなゼロに墜とされている。スミス、カール、フォス、エバートン、海兵隊の誇るエースたちはたいてい一度はゼロに墜とされているんだ。日本のエース、ジュンイチ・ササイを撃墜したカールだってやられている。俺たちが生きているのはホームで戦ったからだ」
「そうか、笹井中尉を撃墜したマリオン・カールも一度は撃墜されたのか」
 トニーは頷きました。
「ゼロのパイロットはすごかった。これはお世辞ではない。何度も機体を穴だらけにされた俺が言うんだ。本物のパイロットが何人もいた」
 私は思わず涙がこぼれました。彼は驚いたようでした。
「ラバウルの空で死んでいった仲間たちが今の言葉を聞けば、喜ぶと思う」
 彼は何度も頷きました。
「俺たちの仲間も何人も死んだ。今頃は天国で冗談を言い合ってるかもしれん」
 そうであってほしいと思いました。目の前にいるこんないい男たちと殺し合った過去が悲しくてなりませんでした。
 トニーは陽気で明るい男でした。孫が五人もいるんだと言って、写真を見せてくれました。今も元気でいるのでしょうか―。
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 いかがでしょうか?
この百田という作家の創作に対するスタイルとして、一冊の歴史小説を書くのに史実の資料を何十冊も読み込むという特徴があるのですが、このくだりにも反映されている事実として、当時あの戦争で戦った人間の大方はかつての敵兵で自分の戦友を大勢殺した相手だからと言って日本人がアメリカ人を、アメリカ人が日本人を恨むなんてのは居てもまあ少数派です。
特に元軍人の方は、上官の命令とあらばどんな非人道的な事もしなければならないという"軍隊という組織"を知っているだけに、不思議とかつての敵を憎むという感情は抱かないようです。


・・・まあ、太平洋戦争が終わった途端ソビエトが増長しだしたんで慌てて日本と西ドイツを再武装させ、自分の同盟に引き入れたアメリカの都合もあるかもしれませんが。


しかし、これとは対極にかつての戦争経験者で仲間が殺されたと言って未だにアメリカ人を憎んでいる日本人や、日本人を憎み続けているアメリカ人といった手合いの周囲にはなぜかアレげな活動家が多くいるというのもまた事実ですね。
沖縄でも戦争怖いアメリカ憎いという趣旨の戦争体験を語る証言者はだいたい反米活動家か社民党あたりの人間ですし、靖国参拝にギャイギャイ言うアメリカ人はおおむね民主党という傾向があります。


 故に、"アメリカと戦って死んだ人間の物語"から、いくらかつての敵であっても、戦争が終わって何十年も憎み続けるのは間違いであるというメッセージを伝えているここの部分が、映画版からはごっそり削られているという事に小官は非常に危険な香りを感じます。
・・・そんなにアメリカは敵だと宣伝したいのでしょうか?


 小官の私見を述べることを許していただければ、アメリカという国は日露戦争の時には兵站能力の関係から"これ以上戦い続ければ日本が負けるというタイミング"で、停戦を纏めたという点に於いて東郷平八郎以上の功労者ですし、戦後の日本の経済的発展だって日本の交易路の治安をあの国の圧倒的な軍事力が安定させていたお蔭です。
そうでなくとも、近現代の歴史を見る限りアメリカないしはイギリスとの関係が良好な時期というのは常に国際社会で日本は勝ち組に立ってます。


そこで、暴力革命論者が入り込んだマスコミに官民ともども煽られた結果とはいえ、不幸にも戦ってはいけない相手と戦ってしまった戦争に命を捧げた人物の生き様を描く映画から、こういう部分を削り落としてしまうというのは、まさに戦前戦中までのマスコミが鬼畜米英と喚いていたのと重なるものを感じざるを得ないのです。
まあ、ある種の自称言論人にありがちな"反米という軸が全くブレていない"とも言えるかもしれませんが、残念ながら現実的な話をする限りアメリカを憎むというのは日本にとって自滅行為です。


・・・以上、
"マスコミには気を付けろ"
"今時の若者はバカではない"
"アメリカを憎むな"というメッセージが削除されているという理由から、小官はこの映画が構成作家の手によって意図的な編集を加えられており、多感な十代の若者が原作を知らずにコレを観ると即ち、
"マスコミを盲信し"
"周囲の同年代の若者に対して根拠不明の選民意識を持ち"
"ただアホみたいにアメリカを憎む"
偏狭な民族主義者に育ってしまいかねない形に歪められていると見做さざるを得ないわけです。


そんなわけで、おまけと言ってはなんですが、最後にこれまた映画には無い原作の結末の部分を紹介して見せましょう。
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 ゼロはまさに直角に落ちてきた。命中の瞬間、俺は目をつむった。
 ゼロは飛行甲板の真ん中にぶつかった。ものすごい音がしたが、爆弾は炸裂しなかった。不発だったんだ。ゼロは甲板の真ん中で燃えていた。周りには飛び散ったゼロの破片が散乱していた。後になって何人かの水兵に聞いたが、ゼロは甲板にぶつかる直前、翼が吹き飛んだという。
 俺たちは全員、声も出ないほど震えていた。
 甲板にゼロのパイロットの上半身があった。それは悪魔では無かった。俺たちと同じ人間だった。誰かが大声で叫びながら、その死体に拳銃を撃った。
 甲板の火はまもなく消し止められた。そこに艦長が降りてきた。
 艦長は半分にちぎれた遺体をじっと見ていたが、その遺体に向かって言った。
「我が軍の優秀な迎撃戦闘機と対空砲火をくぐり抜け、よくぞここまでやってきた」
 その思いは俺たちも同じだった。このゼロは、俺たちの猛烈な対空砲火を見事に突破した・
 艦長は皆に向かって、大きな声でこう言った。
「我々はこの男に敬意を表すべきだと信じる。よって、明朝、水葬に付したい」
 周囲の者たちに動揺が走った。俺も驚いたし、とんでもないことだと思った。もしこの男の爆弾が不発でなかったら、我々の何人かは死んでいたかもしれないのだ。
 しかし艦長は我々を睨み付けた、それは「この決定には口を挟ませないぞ」という目だった。
 われわれは飛び散った遺体を集めた。その時、誰かが日本兵の胸ポケットから一枚の写真を取り出した。
「赤ん坊だ」
 その声に皆が写真を覗きこんだ、俺も見た。着物を着た女が赤ん坊を抱いている写真だった。
「くそっ。俺にもガキがいるんだ!」
 ルー・アンバーソン曹長が吐き捨てるように言った。それから写真を丁寧に遺体の胸ポケットに返した。そして部下の水兵たちに言った。
「一緒に葬ってやれ」
 遺体は白い布でくるまれ、艦橋下の待機所に安置された。俺は遺体をくるむ時、パイロットの開いていた目を閉じてやった。怖かった顔が優しい顔になったのを覚えている。
 ゼロの残骸は海に投棄された。コクピットに残っていた遺体の半分は取り出すことが出来ず、そのまま投棄された。ゼロが抱いていた爆弾も信管が抜かれ、同じように投棄された。
 翌朝、手空きの総員が甲板に集まった。
 今では、あの時の艦長の態度は立派だったと思っている。艦長の息子は真珠湾で戦死したと知ったのは戦後だ。それを聞いて尚のこと、あの時の艦長は立派だと思った。
 一夜明けると、我々のほとんどが、この名も知らぬ日本人に敬意をいだいていた。特にパイロットたちは、彼に対して畏怖の念さえ持っていたようだ。彼らが言うには、ゼロのパイロットはレーダーに捕捉されないように何百キロも海面すれすれを飛んできたのだろうということだった。それには超人的なテクニックと集中力、そして勇気が必要だということだ。
「奴は本物のエースだ」
 カール・レヴィソン中尉は「タイコンデロガ」のエースパイロットだった。多くのパイロットが頷いた。
「日本にサムライがいたとすれば―奴がそうだ」
 俺もそうだと思った。しかしこのパイロットがサムライなら、俺たちもナイトでありたい。
 手空きの総員が甲板に整列する中、弔銃が鳴り響いた。艦長以下、士官の挙手の礼に送られて、白布でくるまれたパイロットの遺体は道板から海中に滑り落とされた。
 鎖の錘をつけられた遺体は、ゆっくりと海の底に沈んでいった。
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いかがでしょうか?


映画ではここの部分はごっそりカットされて主人公の駆る零戦が米空母に今まさに突入せんとする部分で終わっていますが、先に述べたようなマスコミの責任逃れとも取れる編集の傾向を見てしまうと、やはりどうしても日本と戦った米兵たちも立派な人達だったというメッセージを隠蔽して軽薄な民族主義に視聴者を誘導しようとしているんではあるまいかという邪推ばかりが先に立って感動が半減した次第であります。