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2007年5月26日土曜日

新シリーズ予告編~電波解析の業務に手を出したいと思います

相も変わらない琉球新報の報道にはうんざり。
http://obiekt.seesaa.net/article/42261087.html
自称平和運動家の方がグリーン○ースまがいのことをやらかして危うく死人が出るところだったというのに
(もっとも、ご本家の方では既にああいった行為に走る情熱的な方は異端視されているそうですが)
防衛省いぢめを改めようともしない。

まあ、知事選と基地問題以外あんま政治ネタのない辺境で新聞なぞ書いていたら、遅かれ早かれこうなってしまうのかも知れませんが、
「よし、今度はどんな記事を書いて琉球新報を叩こうか」なんてやるのも大人気無いような気がしますし、こういったネタ作りの結果としてこのブログが政治色強くなってしまうのもあんま好ましいとは思いません。

と、ゆうわけで、こないだ本屋で見つけた
「もうすぐ宇宙人が到着します」という題名の本、
これ、強度のUFOビリーバーが書いてて、
(何でわら半紙に印刷されてないんだ)
と思うほどデムパゆんゆんな内容の本なんですが、こいつを購入し、しかるのち電波解析と称してこれの間違い探しと作者の心理に対する考察といったことをやってゆきたいと思います。

…まあ、ブログってやつはそもそも自虐ネタをやるためにあるような場所であって、他者への攻撃みたいな事は好もしくないのですが、フォトンベルトとか悪の秘密結社とか、デムパの世界において王道と言っても差し支えないような事ばっか書かれている本なんで、
「ミリタリーとSFそしてちょびっと政治」を看板としている我がブログとしては、サイエンティフィックな角度からこういったのに迫っていこうとまあ、こうゆうわけですね。
それでは乞うご期待。

2007年5月19日土曜日

あの人だって人間なんだ?

前回の記事で琉球新報について
「こいつら時代が時代なら先頭に立って軍国主義を賛美してたんジャマイカ」
との印象を抱いてしまいますね。
なんて言ってたら・・・今日の朝刊の27面にこんなのがありました。
http://ryukyushimpo.jp/news/storyid-23882-storytopic-1.html

あとでリンク切れると困るので抜粋
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沖縄学の父が戦意高揚の寄稿文
 沖縄学の双璧(そうへき)とされる伊波普猷(1876-1947年)と、東恩納寛惇(1882-1963年)が、相次いで戦意高揚を図る文書を東京新聞に寄稿していたことが、18日までに分かった。伊波は沖縄戦が始まった1945年4月3、4の両日、日本人として「真価を発揮する機会が到来した」「勇戦大きな期待を抱く」などと記述している。東恩納は組織的戦闘が終結した直後の6月27日付で「本土防衛に鉄壁布陣の時間を稼いだ」と守備軍の功績をたたえている。米軍の本土上陸に向け戦意高揚に一役買っている。
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で、この資料が埋もれていた理由について、
「民主主義者または時局批判者の伊波がこうしたものを書くはずがない、という思い込みや予断が研究者を含む多くの人たちの中に頑にあったためではないか」
と言われているそうです。

…判っていたさ、判っていたよ。物書きがこういう人種だって事は。
まあ、「沖縄に理解を示す人物だからといって必ずしも平和反戦ではない」という当たり前といえばごく当たり前の話で、また、沖縄学の父といえども、昨今主流となっている「オリジナリティーで勝負しろ」という意見を持っていたのではなく「沖縄人は日本人の一部」というのがその主張だったというわけでなかなかに興味深い資料ではあります。

ちなみに沖縄戦とその後の歴史について概略を述べますと、戦前、日本軍は沖縄を前線基地とは見なしておらず、国境は台湾海峡の辺りにありました。
事実、台湾大学の前身は旧帝大であります。
で、戦略上の失敗なんかもあって沖縄にはろくな地上兵力が集まらず、対馬丸の例にも見られる通り米軍の通商破壊で住民も避難できないうちに米軍が上陸してきて凄惨な戦いが繰り広げられます。
特に激戦が繰り広げられたのは宜野湾市、浦添市、西原町の付近で、いくつかの部隊はここで全滅したので、小官が小学生の頃まで嘉数高台公園には慰霊碑がたくさんありました。
ただし、戦後かなりの時間が経つと、遺族の中にもきちんとした情報を知っている人がいなくなって、糸満の平和記念公園へ行ったのに慰霊碑がないと苦情が来るようになったので、あらかたそっちへ移設されてしまい、現在嘉数高台に残っているのは「京都の塔」のみだという話です。
http://www.odnsym.com/spot/kakazu.html
http://www.odnsym.com/pic/m/kyoutotou.html
その後、沖縄がアメリカに占領されると、植民地として、前線基地として、生き残った沖縄の住民は苦しい生活を強いられることになりました。
事実、「アメリカは自由の国ではないのか」と問うた琉球政府の代表に対して、「いかにも、わが合衆国は自由の国である。しかしそれは琉球人には適用されない」と軍の高官が語ったというエピソードも残っています。
(今にして思えばかなり誇張が入っているような気もするが)
当然、そういった中で本土復帰への思いは強くなっていくのでした。
ところが、本土へ復帰して日本人になっても沖縄から米軍は出て行かなかった。
国から来るお金は一部の人にしか回らず、依然として経済格差は存在し続け、基地負担は減るどころか自衛隊まで来た。

こうして日本に対する失望が広まる中で昨今の
「オリジナリティーで勝負しろ」という主張が出てきたのです。
そしてそれはある程度成功を収めました。
が、結局のところ、沖縄の人々が理想と妥協の間で生きてゆかざるを得ない現状は変化しておらず、特に一部の人たちは極端な思想・行動に走ってしまう…

まあだいたいこんなところです。

2007年5月12日土曜日

楽しい核物理学講座その5~核を小型化するとはどういうことか

ラプたん帰りましたよ。
で、琉球新報は素直に喜びゃいいものを、一面トップで
「轟く爆音未明に離陸強行」
ですって。
ま、あえてそういう物の見方をすることで飯を食ってる人たちですから、放置しときましょう。
しかしアレですな、物言いが好戦的とまでは言わんが、このテの記事を読むと
「こいつら時代が時代なら先頭に立って軍国主義を賛美してたんジャマイカ」との印象を抱いてしまいますね。
もっとも、小官がアマノジャクなせいかもしれんが。

さて質問です。
広島型原爆は64キログラムのウランを使用し、おおよそ15キロトンの破壊力を発揮しました。
それでは15トン相当の破壊力を発揮する核兵器をこさえるにはウランがどれくらい要るでしょうか?
64キログラムの千分の一で64グラム?
そんな事言ってる人は前の講義から読み直して下さい。
そもそも「核物質」「超臨界状態」にならんと「核爆薬」として機能しないのです。
そして「超臨界状態」にできる最低限の量が一般的にはウランで15キロ、プルトで4キロと言われているというのが前回の講義の要点です。

では、爆発力の大きな原爆と小さな原爆では何が違うのか?
それは平たく言うと、燃焼の効率です。
例えば広島型だと、実際に「燃焼」したのは全体のせいぜい1%、つまり640グラム程度だと言われています。
単純計算すると、全部燃焼した場合、1.5メガトンの破壊力を発揮したことになりますが、リトルボーイはごく一部が燃焼してそれなりの熱量が発生した時点で爆弾自体が蒸発・爆散して超臨界状態が消滅し、連鎖反応が進行しなくなった結果、15キロトン止まりだったというわけです。
そして2の7乗が128ですから、リトルボーイでは連鎖反応が完了する7~8世代前にだいたい反応が停止したと考えてよいでしょう。

この燃焼の効率を高めるためには、当然連鎖反応途中まくりの核物質を爆散しないように十分長い時間狭い空間に閉じ込めておく必要がありまして、そのためにはとても重くて硬い物体でこれを閉じ込めておくという方法が一般的です。

そのための重くて硬い部品をタンパーといいまして、ファットマンなんかですと、中性子を反射して臨界量を小さく抑えることや、連鎖反応で発生した中性子で二次的に反応させることなども狙ってこの部品は劣化ウランで作りました。

当然、タンパーが軽く軟らかい物質だったり全く無かったりすると同じ量の核物質でも反応が十分に進んでいないより早い段階で核物質が爆散して威力低下となります。

要するに、不完全なタンパーを使えば核兵器の威力はいくらでも小さくできるのです。

一方、核兵器のサイズを小型化するためには、いろいろなアプローチがありますが、主となるのはコアの小型化と爆縮方式の簡略化です。
まあ、核兵器のサイズや重量を小さくすればそれだけ運用性も向上するので、じつを言うとこれはかなり研究が進んでいます。

コメ国の例で言いますと、1965年に重量177キログラムの核地雷をこさえ、後に重量70キログラム、破壊力0.1もしくは1キロトンの可変で歩兵がリュックに背負って歩けるというブツを作る。
ちなみにこいつは日本のテレビにアメリカの「核ミュージアム」が出てきたときに全国に紹介されていたはずです。
で、280ミリ核砲弾が後には小型化されて普通の榴弾砲から発射できるようになったり、
有名どころでは核バズーカの「デービークロケット」でしょうね。
こいつの開発が始まったのは1958年。
重量は35.5キログラムで破壊力はTNT20トン相当。
1961年から1965年までの間に400個生産され、実際に試し撃ちも行われております。
http://www.sonicbomb.com/modules.php?name=Content&pa=showpage&pid=56
まあ、現実的に鉄板原爆に近いのはこのあたりでしょうね。

こいつらは基本的に爆縮方式の簡略化によって小型化を達成しているみたいです。
具体的には「リニア・インプロージョン方式」といいまして、鉄パイプの両側にそれぞれ臨界量の半分のプルト半球と火薬を仕込んでおき、同時に点火して合体と爆縮を同時並行に行うと…
この辺のメカニズムは鉄板原爆に通ずるものがありますが、これとても核物質を臨界量以上用意しないといけないという点ではテロリストが簡単に製作できるようなシロモノではありえません。
加えて言うならば、誰でもすぐに推測できるように軸方向から来た衝撃波が周方向へ逃げる構造なので、当然爆縮効率もよろしくないです。

今ひとつのアプローチであるコアの小型化については、タンパーを中性子反射効率の高い素材(例えばベリリウム)で作ったり、爆縮効率の向上で達成できますが、特に後者である爆縮効率の向上については、これは爆縮レンズ系を大型化させぬように…とか考え始めると爆弾の小型化のためにはどうしてもトレードオフになりますんで、実験もなしに一回こっきりの特攻で確実に爆発させたいテロリストにとってはやはりハードルが高すぎると言わざるを得ないでしょう。

と、ゆうわけで、小官がテロリストならば俗に言うスーツケース原爆(平たくてスリムなロシア版の核地雷)を入手してそのまま使いますね。
小官が科学者ならば興味本位で鉄板原爆を作るかも知れんが、(臨界量の兵器級プルトを入手する時点で数十回はブタ箱行き確定だが)科学者だけに当然ハゲが怖いので製作は最低でもグローブボックスを使用し、爆発実験はタイマー付けて海溝にドボンし、地震計とにらめっこくらいの安全策はとりたい所です。

とりあえず核物理の講義はこれでおしまいと致しましょう。
ではでは。

2007年5月5日土曜日

戦勝国の傲慢

うちがソースに使ってる「テクノバーンが」なんかごたごたしてるもんですから、
http://obiekt.seesaa.net/article/38636331.html
過去の記事なんかにリンク切れが続出して改めて無限更新地獄の恐ろしさを思い知らされているハインフェッツです。
これじゃ正直手が回りませんよ。

で、本来ならば今回は「デービークロケット」なんかの話から
「そもそも核兵器の小型化とはどういうことか」という流れで鉄板原爆の検証に行くつもりだったんですが、情報収集の最中に
「んんんー?」と思うような事がありましたんで、政治の記事に差し替えさせていただきます。

問題は「ニューズウィーク日本語版」のゴールデンウィーク合併号。
43ページにテンプル大学ジャパンキャンパス教授のフィル・ディーンズってジャーナリストが書いている
「日本だけじゃない歴史のごまかし」ってコラムです。
日本の過去を公然と批判する中韓にも「歴史の汚点は存在する」という視点には同意できますが、結論がねぇ…
というわけで、
「マスコミは権力の監査機関、ネットはマスコミの監査機関」という言葉もあることですし、問題のコラムの結論の部分を転記しておきます。
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 もちろん、日本と近隣諸国が患う「歴史健忘症」には大きな違いがある。中国、北朝鮮、韓国、台湾は過去の嫌な出来事を隠そうとする罪を犯しているかもしれない。だが、中国がチベットに、国民党が台湾に、北朝鮮が韓国に与えた苦痛は、国境が争点になっていたとはいえ、主に国内問題といえる。これに対して、日本は次々と他国を侵略し、人々を苦しめた占領者である。
 日本は第二次世界大戦で無条件降伏し、侵略戦争の責任を公式に認めた。日本政府は自らの歴史に特別な責任を負っているのだ。その責任を誠実に果たさないかぎり、アジアにおいて歴史を政治問題化する動きは終わらない。
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よーするに日本は無条件降伏したとき、「あれは侵略戦争でした」とやったのだからほかの国がやってることは国内問題でも太平洋戦争は日本の侵略戦争なのだと。
そして侵略戦争だと認めた以上は相応の責任を果たさねばならぬのだと。
(この責任の概念がかなり曖昧で、時系列に従って拡大解釈されてゆくのがリベラルを名乗りながら中共の手先と成り下がった知識人に特徴的な主張のパターンである)
つまり、中国が石油欲しさに南シナ海を獲っちゃった一件も、先方が侵略だとは認めていないので、国内問題ってわけです。
勝てば官軍でつか!

まあ、それが国際社会の不文律なんですけどね。…
たしかに小官も、
「一度過去をきちんと清算しないかぎり、まずまともな外交というものをやるための前提条件が整わないではないか」
と思っていた時期もありましたけど、今では歴史ネタはたいていの場合日本叩きと金銭せびりが目的だと知ってしまいましたからねぇ…
まあ、あれです、このての人にはまずこう言ってみます。
「あなたは先方の要求を全面的に呑むことが騒音おばさんに常識を弁えさせる最良の方法だと思われますか?」と。
さてと、次回こそは鉄板原爆をやりましょうね。