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2012年11月28日水曜日

自称平和主義者の沖縄独立論

本屋にあった丸の最新号が米中ステルス特集の上に付録が観艦式DVDの豪華版です。
しかも心神とKFXの記事まであるとくればこりゃ買わない理由がありませんね

さて、今回のお話は琉球独立論です

大陸でルサンチマンの溜まった基地外が琉球は中国領とか書いた横断幕を持ってデモった直後だけにいかがわしい領土的野心が見え見えって気もしますが、
それではここで歴史を振り返ってみてそもそも彼らが憧れる昔の琉球とは本当はどんな国だったかという事を考えてみましょう。

そもそも、琉球王国は1429年の尚巴志の三山統一によって成立したとされていますが、それ以前の三山時代、更に前のグスク時代には数多の按司達が血みどろの闘争に明け暮れていたことは史実の指摘する通りであります。
初心者向けのところではこんな本も出てるくらい数多の英雄が分立し争っていた事が作り話ではない史実として知られています。

…そういった例を持ち出すまでもなく、南北100キロ程度の沖縄本島にユネスコ世界遺産に登録され観光地としてきちんと整備されているだけでも
今帰仁・座喜味・勝連・中城・首里と五つの城塞が存在し、遺跡が見つかっているものではこの通り無数のグスクがぎっちりとひしめいており、これらが往時には軍事要塞として機能していたという厳然たる事実は、沖縄の先人たちが猫の額ほどの土地を巡って戦争三昧の生活を送っていたことを暗示するものにほかなりません。

故に、三山統一後の按司達が平定された時代を引き合いに出して琉球民族は平和主義とするのは、千年超の日本史の中の一時代に過ぎない江戸時代の鎖国政策を根拠に大和民族は制服欲ゼロと主張するも同然なのですが、
反戦平和大好きな人達にとっては更に都合の悪い事に、この時代にもまた護左丸・阿麻和利の乱や首里城焼失に至った志魯・布里の乱といった内ゲバ事件、1500年に石垣へ討伐軍を送ったオヤケアカハチの乱、1447年から1571年頃にかけては度々奄美大島を襲うなど、交易で繁栄した平和国家というイメージからはかけ離れた史実が存在します。

また、島津氏の侵攻の際にも大石火矢で撃たれたために一度運天まで引き返したとの資料があり、実際にそれを裏付ける出土品も見つかっております。

…と、いった史実を考える限り日本と中国、そしてアメリカという大国の狭間で琉球が独立国としてやっていくためにはどんなに少なくても台湾並みの軍事力は必要不可欠であり、なんなら積極的に領土を広げる努力も忌避されるべきではない。
ましてや尖閣諸島は元々アメリカすら認めてた沖縄県の一部であり、中国や台湾が難癖つけてきたのは1970年代以降の事であるのだから、それこそ幸福実現党のだれかさんが主張してたみたいに尖閣諸島でガス田を掘ってそれを沖縄の財源とするのは当然のことで中国や台湾がこれに手を出すことはまかりならぬし、それは沖縄が琉球国として独立したところで1ミリもかわらない。

むしろ、独立したら日本からの地方交付税が無くなるのだからそれこそ琉球人の乗った軍艦を派遣してでも尖閣諸島を実効支配してしまわないとおまんまの食い上げになってしまうという流れになるのが当然のはずなのですが…

だって、それすらイヤとか言ってたら結局いつまで経ってもアメリカの属国のまんまか、もしくは中国共産党に面白おかしく弄り殺される羽目になりますよ?

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