木曜の参議院代表質問で、社民党の照屋氏がこの問題について沖縄からの立場で質問していました。
それはそれで結構なのですが、小官的にはやはりこういった昔ながらの左翼の見解というのは事実認識にズレがあるように思います。
座間味島での戦闘で軍隊から
「米軍に捕まる前にこれで死になさい」
と手榴弾を渡されたという証言を元に「日本軍が自決を強制した」
という事を言っているのですが、そもそもこの証言にある日本軍の発言が「命令であった」か否かが微妙なところです。
前回の記事でも指摘している通り、「当時の常識」を基準にして考えれば、それは極限状況下での「住民に対する最後の思いやり」だったと取るのが妥当でありましょう。
誤解を避けるために言わせて頂くと、以上は勿論「過去の常識」の下で起こった悲劇であり、「現在の常識」では到底許容し得る事ではありません。
小官が指摘したいのは、問題があったのは主として「過去の常識」であるにも関わらず、その責任を軍隊という「特定の組織」の責任にして片付けてしまうやり方、それを下敷きにした教育の手法はむしろ危険じゃないかということです。
事実。欧米諸国では、かなり前からネオナチが着実に勢力基盤を築きつつあります。
かつてナチを支持したのは、ドイツの一人一人の民衆であり、むしろナチは彼等の代弁者であったのにも関わらず、戦争が終わると、全ての責任をナチという「特定の組織」のせいにした。
そりゃ当時のドイツ人を皆殺しにするわけにもいきませんから、連合国が「みんなナチにダマされてたんだよ。」という解釈を採用したことは一つの正解であったわけですが、
その結果「誰でもナチにはなり得るのだ」という最も肝心な点が見落とされてしまった。
この問題を無視してネオナチを語るわけにはいかんでしょう。
小官が主として申し上げたいのは、
「日本も同じどつぼにハマるつもりですか?」ということです。
なんやかんやで前置きが長くなりましたが、本題に入りましょう。
小官がコンベン裏について覚えている最も古い記憶は潮干狩りです。
当時の沖縄は戦争が実に平和だった…。
こんな言い方をすると「日本語が大変デース!!」とか言われそうですが、有り体に言ってそれが最も妥当な表現なのだから仕方がない。
西銘さんあたりの時代ですかね、当時既に米軍機が飛ぶのは日常の一部と化していて、たしかにそこかしこから戦争のきな臭いニオイはしてきたもんですが、米軍機も子供心にはでかいカラスが飛んでるようなもんでありました。
ただし、子供のことですから、P3Cとハーキュリーズの区別すら付いていませんでした。
恥を恐れずに言えば、当時の小官がF−16と「灰色に塗ったF2」を見せられたら、迷わず「おなじひこうき」と言ったでしょう。
「翼面積とハードポイントの数が違うでしょ?」と言われても
「隊長機は改造されてるんだよ。」と答えた可能性すらあります。
そういえばあの頃はブロンコがけっこう飛んでましたが、90年代に入ったあたりから見かけなくなりました。
話が逸れましたが、コンベン裏に潮干狩りに行って何を穫るのかと言えば、それは勿論「ちんぼーらー」です。
こいつは蓋が半球形をした大きめの巻貝で、ガーッと茹でたやつを安全ピンで身をほじくり出して食べるのですが、はらわたの部分が苦くてジャリジャリしててとにかくまづい。
ところが「体に良いんだよ!」と言われて仰山食わされる。
今にして思えば、貝に対して苦手意識が芽生えたのはあの頃だと…
当時はコンベン裏も今ほど整備されていませんでしたから、基本的に防波堤と砂浜だけでした。
クラゲよけのネットなんてオサレな物も無く、アオサでぬるぬるになったコンクリートの護岸に波が打ち寄せる。
沖縄ですので砂浜はデフォで珊瑚カルシウムのクリーム色でしたが、もっとこう田舎っぽい感じでありました。
そこで潮が引くと、珊瑚のギザギザした浅瀬が現われ、ちんぼーらーの殻をかぶったヤドカリが徘徊しているのです。
小官の親くらいの世代になると、こいつらをとっ捕まえて殻から引っぱり出し、ぷよぷよの腹をもぎり取ってゴカイの代わりに釣り針に付けて魚を釣ったそうですが、小官の世代だと、家に連れ帰って飼っているうちに行方不明となり、半年後に模様替えをするとタンスの裏からひからびた死骸が出てくるといった具合でありました。
小官の妹などは、夜中に目覚めると脱走したヤドカリが枕元を歩いていてびっくりしたそうです。
ちなみに渡嘉敷や座間味では最近、ビーチに観光客が食べ残しを残してゆくので、こいつらが大量発生して夜な夜な甲殻類の波が大地を覆い尽くすのだそうです。
海辺にてこの可憐な生物と戯れている間に、親達はバケツにたっぷりちんぼーらーを集めていて、帰る前にそいつを見せられ
「イヤだー!帰りたくない!!夕飯食べたくないよう!!!」
となるのが小官の最も古いコンベン裏の記憶であります。
この頃は「基地は勿論イヤだけど共存するしかないね」という風潮が支配的だったように思います。
こんな事を書くと個人特定されそうでなんとなく怖いのですが、小官の家の斜め向かいが丁度「バークレイ」でしたので、時折活動家の方が横断幕持って活動してましたが、それよりもむしろ自分ちの近所に目に見える形でアメリカの領土があるという事実の方に素朴な感動を覚えたものでした。
というわけで予告。
次回、急転直下となります。
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